曹洞宗 禅の教え

道元禅師の
教え

八百年ほど前の鎌倉時代に、「道元禅師」が正伝の仏法を中国から日本に伝え、「瑩山禅師」が全国に広められ、「曹洞宗」の礎を築かれました。このお二方を両祖と申し上げ、「お釈迦さま」とともに、「一仏両祖」として仰ぎます。

曹洞宗の坐禅は、何かの目的達成の手段として坐禅をするのではありません。「只管打坐(しかんたざ)」といい、「ただひたすらに坐ること」なのです。曹洞宗の開祖である道元禅師は、人間は生まれながらにして仏さまと同じ心、「仏心」を与えられており、坐禅によりその「仏の姿」が明らかになると説いています。
また、道元禅師は日常の全ての行為を坐禅と同じ心でつとめ、禅の修行として行うことを説いています。日常のひとつひとつの行いを疎かにせず、心を整え大切に行うことで「仏の姿」が明らかになるというのです。
道元禅師の教え

梅花講

曹洞宗の御詠歌は梅花流詠讃歌です。人は幸せを願って生きています。しかし、誰しも悩み、悲しみ、苦しみを体験しない人はいないでしょう。そうした時に心を支えてくれるのが、梅花流詠讃歌です。
どんなに世の中が移り変わろうとも、仏さまの教え、真理は変わりません。詠讃歌をお唱えすることは、その教えを実践して行くことに他ならないのです。お唱えをした後の爽やかさ、喜びは何ものにも代えがたいものです。この「温もり」を少しでも多くの方と分かちあって行くことが梅花流詠讃歌の願いです。一緒にお唱えをいたしましょう。興味のある方はお問い合わせ下さい。
梅花流詠讃歌

法音寺の歴史

地元・加茂の文献によると、法音寺は寛永18年(1641年)、大昌寺の五世楠貞元察大和尚を開山として開かれたとされています。
加茂に残る一番古い「慶安元年(1648年)加茂村下条村境界裁許絵図」には、建物と寺名が現位置に記されています。
法音寺にある「おんにょさま」と呼ばれる二王像は、元は同じ下条の長福寺の山門にあったとされています。慶長三年(1598年)上杉景勝が会津へ転城する際に長福寺も移転し、二王像はその後も山門に残りました。
明治の終わり頃、おんにょさまが当時の法音寺の住職の夢枕に立った為、長福寺の山門から移してきたと言われています。以来、地域の人々の拠り所として、現代に至るまで親しまれているのです。

境内

法音寺の文字が彫られた石柱横の石段を登ると、鮮やかな紅が印象的な本堂が目に入ります。この本堂の中では、毎日のお努めや、法事などの各法要行事が営まれます。

本堂

法音寺の本堂には、大きく「瑠璃山」の文字が彫られた山号額が飾られています。
これは当時、直江兼続が書いた直筆の文字に沿って彫刻された、大変貴重な山号額です。

おんにょさまの
云い伝え

古くから「おんにょさま」と親しまれている二王様。二王様は霊験顕著なりとして、子供はその股をくぐると丈夫に育といわれ多くの子供達がくぐってきました。また、病む部位を摩ると病が治るとされ、多くの人々にさすられたその身体は、所々赤い色が落ちています。
昔々、五番町から新町まで燃えた大火事がありました。その折、人々はもう手がつけられないと消火をあきらめかけた時、どこからか大男が来て火の中をのしりのしりと歩いて火を消しました。翌朝、人々が起きて尋ねてみると焼け残りの大木に長福寺の二王堂にある大わらじがかかっていたので、きっと長福寺の「おんにょさま」が助けてくれたのだと、言い伝わっているそうな。

法音寺のとりくみ

地域と
共にあるお寺

どんな人もふらりと立ち寄れる様な、地域の人々に愛される寺でありたい。法音寺は地域の方々との繋がりを大切にしています。住職が中心となり地元の有志で結成された「かも倶楽部」主催の様々なイベントも行っています。
住職:飛田 正玄(とびた しょうげん)
寺フェスの様子